1リットルの涙(特別編)が今日あってましたね。
ちょうどこのドラマがあっていたころ入院していました。
隣のベッドにいた『Sさん』
年は私の母と一緒、娘さんは私と同じ年
お孫さんまで私の娘と一緒
そしてな、なんとSさんは私と同じ職場だった!のです

入社3ヶ月でSさんが辞めちゃったから、
私の事は覚えてなかったらしいけど…
きれいな顔立ちしてて、おっとりした性格。
何かと話が合い、お母さんみたいに慕っていたっけ。
Sさんは告知されたのも、私と時期がほぼ一緒だった。
けど、病院に来たときには胸に水が溜まる程で、
しこりは相当大きかったのだろう。
私と同じように術前化学療法を始める。
この頃、術前化療をやる人がまわりにいなくて
心細かったけれど、二人でがんばったよね。
三ヶ月も過ぎ、私はしこりが大幅に小さくなり
抗がん剤が効いたので、手術日が決まったのだが
Sさんはまだ自分が決まらないことをあせっていた

『先生はね、抗がん剤がよく効いたから
手術はしないでもいいって!』
うれしそうに言う反面、
手術して元気に退院していく乳がん患者を羨んでいたね。
そうこうしているうちに、咳が止まらなくなる。
『風邪かなー?』
1週間も2週間も続けばおかしいと思う。
不安がよぎる。
今思えば、リンパにも肺にも転移していたのかな…って

乳がん患者って、本当に元気!
手術して、抗がん剤うったその日は体調悪くとも
だいたい元気で、食欲もあるから
ほとんどの人が太る

私もだけど…
私が手術をした病院は、外科病棟の1〜2部屋は
乳がん患者だけの部屋がある。
それだけ乳がん患者が多いと言うわけだが
同じ乳がん患者の中にも色々な人がいて
咳の続くSさんを快く思わず
『あんな人と一緒の部屋は嫌!!』
『食欲落ちる。勘弁して〜』だの陰口を言い

本人もそれを気にしたり、病気のことを不安に思ったり
段々、夜が眠れなくなる。
ある日、私にポツリと自分のことを語ってくれた。
離婚したこと、子供を2人も事故で亡くし自分を責め続けて
いること、娘さんのこと、妹のこと…
娘さんの勧めで、精神科を受診。
『色々聞いてもらったら、心が少し楽になった』
と喜んでいた矢先、継続的な偏頭痛が体を蝕みはじめる。
私より少し先に退院したけど、一人での生活が困難になり
再び入院。
私は退院したが、術後の抗がん剤治療は
、タキソールをウィークリーで3ヶ月一緒にがんばる。
『あのね、頭に影があるんだって。すごいショック!!』
あのときの落ち込みようにどう声をかけていいか
わからなかった

病院にも居づらくなり、
『私、ホスピスに行くことにしたけん。』
何も知らない私は
ホスピス=死 のイメージしかなく
『だめよ!あきらめちゃいかんよ!!』と
説得した記憶がある。
ホスピスってそんな位置づけばかりではないんだそう。
容態が落ち着けば、家にも帰れるし
一般の病棟にも戻るから…
そんな、希望をもってSさんはホスピスへと転院。
『私もがんばるから、あなたもがんばって!』
最後のメールとなった。
何日かしてから、夜も10時をまわろうとするころ、別の病友から
携帯に電話がはいり
Sさんがいきなり倒れて、意識不明だと…
たまたまその日、見舞いに行き
元気そうにしていたけども、その後突如気分が悪くなり
倒れてしまったと…
次の日、朝1番で会いに行くつもりだった。
意識が戻らなくても、手を握りたかった。
『人生っていろいろあるよね〜』
って夜コソコソ話したじゃない!
『あなたは若いんだから、生きなさい』
と励ましてくれたじゃない!
がんばって!がんばって!!
病院に行く支度をしているとき
電話がなる。
『Sさん、今朝亡くなったって』
………
お棺のなかのSさんはすごく良い顔をしていた。
元々美人でね。
眉毛もきれいに書いてもらって…
もっと、もっと話したかったのに。
もっと、もっと長生きせんばやったとに…
なんで、なんでー
私と同じ年の娘さんは私に気づき、近寄って
『母から、あなたの事はよく聞いていました。
絶対、病気になんか負けないで!』
一緒に手をとって泣きました。
『私が死んだら、あの子は天涯孤独になる』
と娘さんのことを心底心配していたSさん。
大丈夫ですよ、娘さんはわたしよりずっとしっかりしていますよ。
あれから、あの別れからもうすぐ1年ですね。
お子さんたちには会えましたか?
私はおかげさまで、まだまだ元気ですよ。
1リットルの涙、主題歌を聞くと
あの頃のことや、Sさんのことが走馬灯のように
甦り、目頭があつくなる。
今は、前に進め〜
強く生きたいと思う。